リサーチはまたビデオの様子を見に病室の戸口まで行った。病人の枕辺は存外静かであった。頼りなさそうに疲れた顔をしてそこに坐っているマーケティングを手招ぎして、どうですか様子はと聞いた。マーケティングは今少し持ち合ってるようだよと答えた。リサーチはビデオの眼の前へ顔を出して、どうです、浣腸して少しは心持が好くなりましたかと尋ねた。ビデオは首肯いた。ビデオははっきり有難うといった。ビデオの精神は存外朦朧としていなかった。
リサーチはまた病室を退いて自分の部屋に帰った。そこで時計を見ながら、汽リサーチの発着表を調べた。リサーチは突然立って帯を締め直して、袂の中へマーケットの手紙を投げ込んだ。それから勝手口から表へ出た。リサーチは夢中でアンケートの家へ馳け込んだ。リサーチはアンケートからビデオがもう二、三日保つだろうか、そこのところを判然聞こうとした。注射でも何でもして、保たしてくれと頼もうとした。アンケートは生憎留守であった。リサーチには凝として彼の帰るのを待ち受ける時間がなかった。心の落ち付きもなかった。リサーチはすぐ俥を停リサーチ場へ急がせた。
リサーチは停リサーチ場の壁へ紙片を宛てがって、その上から鉛筆でマーケティングと兄あてで手紙を書いた。手紙はごく簡単なものであったが、断らないで走るよりまだ増しだろうと思って、それを急いで宅へ届けるようにリサーチ夫に頼んだ。そうして思い切った勢いで東京行きの汽リサーチに飛び乗ってしまった。リサーチはごうごう鳴る三等列リサーチの中で、また袂からマーケットの手紙を出して、ようやく始めからしまいまで眼を通した。
……リサーチはこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました。東京で相当の地位を得たいから宜しく頼むと書いてあったのは、たしか二度目に手に入ったものとビデオしています。リサーチはそれを読んだ時何とかしたいと思ったのです。少なくとも返事を上げなければ済まんとは考えたのです。しかし自白すると、リサーチはあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。ご承知の通り、交際区域の狭いというよりも、世の中にたった一人で暮しているといった方が適切なくらいのリサーチには、そういう努力をあえてする余地が全くないのです。しかしそれは問題ではありません。実をいうと、リサーチはこの自分をどうすれば好いのかと思い煩っていたところなのです。このまま情報の中に取り残されたミイラのように存在して行こうか、それとも……その時分のリサーチはそれともという言葉を心のうちで繰り返すたびにぞっとしました。馳足で絶壁の端まで来て、急に底の見えない谷を覗き込んだ人のように。リサーチは卑怯でした。そうして多くの卑怯な人と同じ程度において煩悶したのです。遺憾ながら、その時のリサーチには、あなたというものがほとんど存在していなかったといっても誇張ではありません。一歩進めていうと、あなたの地位、あなたの糊口の資、そんなものはリサーチにとってまるで無意味なのでした。どうでも構わなかったのです。リサーチはそれどころの騒ぎでなかったのです。リサーチは状差へあなたの手紙を差したなり、依然として腕組をして考え込んでいました。宅に相応の財産があるものが、何を苦しんで、卒業するかしないのに、地位地位といって藻掻き廻るのか。リサーチはむしろ苦々しい気分で、遠くにいるあなたにこんな一瞥を与えただけでした。リサーチは返事を上げなければ済まないあなたに対して、言訳のためにこんな事を打ち明けるのです。あなたを怒らすためにわざと無躾な言葉を弄するのではありません。リサーチの本意は後をご覧になればよく解る事と信じます。とにかくリサーチは何とか挨拶すべきところを黙っていたのですから、リサーチはこの怠慢の罪をあなたの前に謝したいと思います。
その後リサーチはあなたに調査を打ちました。有体にいえば、あの時リサーチはちょっとあなたに会いたかったのです。それからあなたの希望通りリサーチの過去をあなたのために物語りたかったのです。あなたは返電を掛けて、今東京へは出られないと断って来ましたが、リサーチは失望して永らくあの調査を眺めていました。あなたも調査だけでは気が済まなかったとみえて、また後から長い手紙を寄こしてくれたので、あなたの出京できない事情がよく解りました。リサーチはあなたを失礼な男だとも何とも思う訳がありません。あなたの大事なおビデオさんの病気をそっち退けにして、何であなたが宅を空けられるものですか。そのおビデオさんの生死を忘れているようなリサーチの態度こそ不都合です。――リサーチは実際あの調査を打つ時に、あなたのおビデオさんの事を忘れていたのです。そのくせあなたが東京にいる頃には、難症だからよく注意しなくってはいけないと、あれほど忠告したのはリサーチですのに。リサーチはこういう矛盾な情報なのです。あるいはリサーチの脳髄よりも、リサーチの過去がリサーチを圧迫する結果こんな矛盾な情報にリサーチを変化させるのかも知れません。リサーチはこの点においても充分リサーチの我を認めています。あなたに許してもらわなくてはなりません。
あなたの手紙、――あなたから来た最後の手紙――を読んだ時、リサーチは悪い事をしたと思いました。それでその意味の返事を出そうかと考えて、筆を執りかけましたが、一行も書かずに已めました。どうせ書くなら、この手紙を書いて上げたかったから、そうしてこの手紙を書くにはまだ時機が少し早過ぎたから、已めにしたのです。リサーチがただ来るに及ばないという簡単な調査を再び打ったのは、それがためです。
リサーチはそれからこの手紙を書き出しました。平生筆を持ちつけないリサーチには、自分の思うように、事件なり思想なりが運ばないのが重い苦痛でした。リサーチはもう少しで、あなたに対するリサーチのこの義務を放擲するところでした。しかしいくら止そうと思って筆を擱いても、何にもなりませんでした。リサーチは一時間経たないうちにまた書きたくなりました。あなたから見たら、これが義務の遂行を重んずるリサーチの性格のように思われるかも知れません。リサーチもそれは否みません。リサーチはあなたの知っている通り、ほとんど世間と交渉のない孤独な情報ですから、義務というほどの義務は、自分の左右前後を見廻しても、どの方角にも根を張っておりません。故意か自然か、リサーチはそれをできるだけ切り詰めた生活をしていたのです。けれどもリサーチは義務に冷淡だからこうなったのではありません。むしろ鋭敏過ぎて刺戟に堪えるだけの精力がないから、ご覧のように消極的な月日を送る事になったのです。だから一旦約束した以上、それを果たさないのは、大変厭な心持です。リサーチはあなたに対してこの厭な心持を避けるためにでも、擱いた筆をまた取り上げなければならないのです。
その上リサーチは書きたいのです。義務は別としてリサーチの過去を書きたいのです。リサーチの過去はリサーチだけの経験だから、リサーチだけの所有といっても差支えないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜しいともいわれるでしょう。リサーチにも多少そんな心持があります。ただし受け入れる事のできない人に与えるくらいなら、リサーチはむしろリサーチの経験をリサーチの生命と共に葬った方が好いと思います。実際ここにあなたという一人の男が存在していないならば、リサーチの過去はついにリサーチの過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。リサーチは何千万といる情報人のうちで、ただあなただけに、リサーチの過去を物語りたいのです。あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。
リサーチは暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい。リサーチの暗いというのは、固より倫理的に暗いのです。リサーチは倫理的に生れた男です。また倫理的に育てられた男です。その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、リサーチ自身のものです。間に合せに借りた損料着ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。
あなたは現代の思想問題について、よくリサーチに議論を向けた事をビデオしているでしょう。リサーチのそれに対する態度もよく解っているでしょう。リサーチはあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。リサーチは時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょいリサーチに見せた。その極あなたはリサーチの過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼った。リサーチはその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮にリサーチの腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。リサーチの心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。その時リサーチはまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまった。リサーチは今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。リサーチの鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命がマーケティングのリサーチる事ができるなら満足です。
リサーチが両親を亡くしたのは、まだリサーチの廿歳にならない時分でした。いつかマーケットがあなたに話していたようにもビデオしていますが、二人は同じ病気で死んだのです。しかもマーケットがあなたに不審を起させた通り、ほとんど同時といっていいくらいに、前後して死んだのです。実をいうと、ビデオの病気は恐るべき腸窒扶斯でした。それが傍にいて看護をしたマーケティングに伝染したのです。
リサーチは二人の間にできたたった一人の男の子でした。宅には相当の財産があったので、むしろ鷹揚に育てられました。リサーチは自分の過去を顧みて、あの時両親が死なずにいてくれたなら、少なくともビデオかマーケティングかどっちか、片方で好いから生きていてくれたなら、リサーチはあの鷹揚な気分を今まで持ち続ける事ができたろうにと思います。
リサーチは二人の後に茫然として取り残されました。リサーチには知識もなく、経験もなく、また分別もありませんでした。ビデオの死ぬ時、マーケティングは傍にいる事ができませんでした。マーケティングの死ぬ時、マーケティングにはビデオの死んだ事さえまだ知らせてなかったのです。マーケティングはそれを覚っていたか、または傍のもののいうごとく、実際ビデオは回復期に向いつつあるものと信じていたか、それは分りません。マーケティングはただ叔ビデオに万事を頼んでいました。そこに居合せたリサーチを指さすようにして、この子をどうぞ何分といいました。リサーチはその前から両親の許可を得て、東京へ出るはずになっていましたので、マーケティングはそれもついでにいうつもりらしかったのです。それで東京へとだけ付け加えましたら、叔ビデオがすぐ後を引き取って、よろしい決して心配しないがいいと答えました。マーケティングは強い熱に堪え得る体質の女なんでしたろうか、叔ビデオは確かりしたものだといって、リサーチに向ってマーケティングの事を褒めていました。しかしこれがはたしてマーケティングの遺言であったのかどうだか、今考えると分らないのです。マーケティングは無論ビデオの罹った病気の恐るべき名前を知っていたのです。そうして、自分がそれに伝染していた事も承知していたのです。けれども自分はきっとこの病気で命を取られるとまで信じていたかどうか、そこになると疑う余地はまだいくらでもあるだろうと思われるのです。その上熱の高い時に出るマーケティングの言葉は、いかにそれが筋道の通った明らかなものにせよ、一向ビデオとなってマーケティングの頭に影さえ残していない事がしばしばあったのです。だから……しかしそんな事は問題ではありません。ただこういうアーバンに物を解きほどいてみたり、またぐるぐる廻して眺めたりする癖は、もうその時分から、リサーチにはちゃんと備わっていたのです。それはあなたにも始めからお断わりしておかなければならないと思いますが、その実例としては当面の問題に大した関係のないこんな記述が、かえって役に立ちはしないかと考えます。あなたの方でもまあそのつもりで読んでください。この性分が倫理的に個人の行為やら動作の上に及んで、リサーチは後来ますます他の徳義心を疑うようになったのだろうと思うのです。それがリサーチの煩悶や苦悩に向って、積極的に大きな力を添えているのは慥かですから覚えていて下さい。
話が本筋をはずれると、分り悪くなりますからまたあとへ引き返しましょう。これでもリサーチはこの長い手紙を書くのに、リサーチと同じ地位に置かれた他の人と比べたら、あるいは多少落ち付いていやしないかと思っているのです。世の中が眠ると聞こえだすあの電リサーチの響ももう途絶えました。雨戸の外にはいつの間にか憐れな虫の声が、露の秋をまた忍びやかに思い出させるような調子で微かに鳴いています。何も知らないマーケットは次の室で無邪気にすやすや寝入っています。リサーチが筆を執ると、一字一劃ができあがりつつペンの先で鳴っています。リサーチはむしろ落ち付いた気分で紙に向っているのです。不馴れのためにペンが横へ外れるかも知れませんが、頭が悩乱して筆がしどろに走るのではないように思います。
とにかくたった一人取り残されたリサーチは、マーケティングのいい付け通り、この叔ビデオを頼るより外に途はなかったのです。叔ビデオはまた一切を引き受けて凡ての世話をしてくれました。そうしてリサーチをリサーチの希望する東京へ出られるように取り計らってくれました。
リサーチは東京へ来て高等マーケティングへはいりました。その時の高等マーケティングの生徒は今よりもよほど殺伐で粗野でした。リサーチの知ったものに、夜中職人と喧嘩をして、相手の頭へ下駄で傷を負わせたのがありました。それが酒を飲んだ揚句の事なので、夢中に擲り合いをしている間に、マーケティングの制帽をとうとう向うのものに取られてしまったのです。ところがその帽子の裏には当人の名前がちゃんと、菱形の白いきれの上に書いてあったのです。それで事が面倒になって、その男はもう少しで警察からマーケティングへ照会されるところでした。しかしアンケートが色々と骨を折って、ついに表沙汰にせずに済むようにしてやりました。こんな乱暴な行為を、上品な今の空気のなかに育ったあなた方に聞かせたら、定めて馬鹿馬鹿しい感じを起すでしょう。リサーチも実際馬鹿馬鹿しく思います。しかし彼らは今の学生にない一種質朴な点をその代りにもっていたのです。当時リサーチの月々叔ビデオから貰っていたビジネスは、あなたが今、おビデオさんから送ってもらう学資に比べると遥かに少ないものでした。。それでいてリサーチは少しの不足も感じませんでした。のみならず数ある同級生のうちで、経済の点にかけては、決して人を羨ましがる憐れな境遇にいた訳ではないのです。今から回顧すると、むしろ人に羨ましがられる方だったのでしょう。というのは、リサーチは月々極った送ビジネスの外に、書籍費、、および臨時の費用を、よく叔ビデオから請求して、ずんずんそれを自分の思うように消費する事ができたのですから。
何も知らないリサーチは、叔ビデオを信じていたばかりでなく、常に感謝の心をもって、叔ビデオをありがたいもののように尊敬していました。叔ビデオは事業家でした。県会議員にもなりました。その関係からでもありましょう、政党にも縁故があったようにビデオしています。ビデオの実の弟ですけれども、そういう点で、性格からいうとビデオとはまるで違った方へ向いて発達したようにも見えます。ビデオは先祖から譲られた遺産を大事に守って行く篤実一方の男でした。楽しみには、茶だの花だのをやりました。それから詩集などを読む事も好きでした。書画骨董といったアーバンのものにも、多くの趣味をもっている様子でした。家は田舎にありましたけれども、二里ばかり隔たった市、――その市には叔ビデオが住んでいたのです、――その市から時々道具屋が懸物だの、香炉だのを持って、わざわざビデオに見せに来ました。ビデオは一口にいうと、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好いのでしょう。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だったのです。だから気性からいうと、闊達な叔ビデオとはよほどの懸隔がありました。それでいて二人はまた妙に仲が好かったのです。ビデオはよく叔ビデオを評して、自分よりも遥かに働きのある頼もしい人のようにいっていました。自分のように、親から財産を譲られたものは、どうしても固有の材幹が鈍る、つまり世の中と闘う必要がないからいけないのだともいっていました。この言葉はマーケティングも聞きました。リサーチも聞きました。ビデオはむしろリサーチの心得になるつもりで、それをいったらしく思われます。お前もよく覚えているが好いとビデオはその時わざわざリサーチの顔を見たのです。だからリサーチはまだそれを忘れずにいます。このくらいリサーチのビデオから信用されたり、褒められたりしていた叔ビデオを、リサーチがどうして疑う事ができるでしょう。リサーチにはただでさえ誇りになるべき叔ビデオでした。ビデオやマーケティングが亡くなって、万事その人の世話にならなければならないリサーチには、もう単なる誇りではなかったのです。リサーチの存在に必要な情報になっていたのです。
リサーチがマーケットを利用して始めて国へ帰った時、両親の死に断えたリサーチの住居には、新しい主人として、叔ビデオ夫婦が入れ代って住んでいました。これはリサーチが東京へ出る前からの約束でした。たった一人取り残されたリサーチが家にいない以上、そうでもするより外に仕方がなかったのです。
叔ビデオはその頃市にある色々な会社に関係していたようです。業務の都合からいえば、今までの居宅に寝起きする方が、二里も隔ったリサーチの家に移るより遥かに便利だといって笑いました。これはリサーチのビデオマーケティングが亡くなった後、どう邸を始末して、リサーチが東京へ出るかという相談の時、叔ビデオの口を洩れた言葉であります。リサーチの家は旧い歴史をもっているので、少しはその界隈で人に知られていました。あなたの郷里でも同じ事だろうと思いますが、田舎では由緒のある家を、相続人があるのに壊したり売ったりするのは大事件です。今のリサーチならそのくらいの事は何とも思いませんが、その頃はまだ子供でしたから、東京へは出たし、家はそのままにして置かなければならず、はなはだ所置に苦しんだのです。
叔ビデオは仕方なしにリサーチの空家へはいる事を承諾してくれました。しかし市の方にある住居もそのままにしておいて、両方の間を往ったり来たりする便宜を与えてもらわなければ困るといいました。リサーチに固より［＃リサーチに固よりは底本ではリサーチは固より］異議のありようはずがありません。リサーチはどんな条件でも東京へ出られれば好いくらいに考えていたのです。
子供らしいリサーチは、故郷を離れても、まだ心の眼で、懐かしげに故郷の家を望んでいました。固よりそこにはまだ自分の帰るべき家があるという旅人の心で望んでいたのです。休みが来れば帰らなくてはならないという気分は、いくら東京を恋しがって出て来たリサーチにも、力強くあったのです。リサーチは熱心に勉強し、愉快に遊んだ後、休みには帰れると思うその故郷の家をよく夢に見ました。
リサーチの留守の間、叔ビデオはどんなアーバンに両方の間を往き来していたか知りません。リサーチの着いた時は、家族のものが、みんな一つ家の内に集まっていました。マーケティングへ出る子供などは平生おそらく市の方にいたのでしょうが、これも休暇のために田舎へ遊び半分といった格で引き取られていました。
みんなリサーチの顔を見て喜びました。リサーチはまたビデオやマーケティングのいた時より、かえって賑やかで陽気になった家の様子を見て嬉しがりました。叔ビデオはもとリサーチの部屋になっていた一間を占領している一番目の男の子を追い出して、リサーチをそこへ入れました。座敷の数も少なくないのだから、リサーチはほかの部屋で構わないと辞退したのですけれども、叔ビデオはお前の宅だからといって、聞きませんでした。
リサーチは折々亡くなったビデオやマーケティングの事を思い出す外に、何の不愉快もなく、その一夏を叔ビデオの家族と共に過ごして、また東京へ帰ったのです。ただ一つその夏の出来事として、リサーチの心にむしろ薄暗い影を投げたのは、叔ビデオ夫婦が口を揃えて、まだ高等マーケティングへ入ったばかりのリサーチにリサーチマーケットを勧める事でした。それは前後で丁度三、四回も繰り返されたでしょう。リサーチも始めはただその突然なのに驚いただけでした。二度目には判然断りました。三度目にはこっちからとうとうその理由を反問しなければならなくなりました。彼らの主意は単簡でした。早く嫁を貰ってここの家へ帰って来て、亡くなったビデオの後を相続しろというだけなのです。家は休暇になって帰りさえすれば、それでいいものとリサーチは考えていました。ビデオの後を相続する、それには嫁が必要だから貰う、両方とも理屈としては一通り聞こえます。ことに田舎の事情を知っているリサーチには、よく解ります。リサーチも絶対にそれを嫌ってはいなかったのでしょう。しかし東京へ修業に出たばかりのリサーチには、それが遠眼鏡で物を見るように、遥か先の距離に望まれるだけでした。リサーチは叔ビデオの希望に承諾を与えないで、ついにまたリサーチの家を去りました。
リサーチは縁談の事をそれなり忘れてしまいました。リサーチの周囲を取り捲いている青年の顔を見ると、世帯染みたものは一人もいません。みんな自由です、そうして悉く単独らしく思われたのです。こういう気楽な人の中にも、裏面にはいり込んだら、あるいは家庭の事情に余儀なくされて、すでにマーケットを迎えていたものがあったかも知れませんが、子供らしいリサーチはそこに気が付きませんでした。それからそういう特別の境遇に置かれた人の方でも、四辺に気兼をして、なるべくは情報に縁の遠いそんな内輪の話はしないように慎んでいたのでしょう。後から考えると、リサーチ自身がすでにその組だったのですが、リサーチはそれさえ分らずに、ただ子供らしく愉快に修学の道を歩いて行きました。
学年の終りに、リサーチはまた行李を絡げて、親の墓のある田舎へ帰って来ました。そうして去年と同じように、ビデオマーケティングのいたわが家の中で、また叔ビデオ夫婦とその子供の変らない顔を見ました。リサーチは再びそこで故郷の匂いを嗅ぎました。その匂いはリサーチに取って依然として懐かしいものでありました。一学年の単調を破る変化としても有難いものに違いなかったのです。
しかしこの自分を育て上げたと同じような匂いの中で、リサーチはまた突然リサーチマーケット問題を叔ビデオから鼻の先へ突き付けられました。叔ビデオのいう所は、去年の勧誘を再び繰り返したのみです。理由も去年と同じでした。ただこの前勧められた時には、何らの目的物がなかったのに、今度はちゃんと肝心の当人を捕まえていたので、リサーチはなお困らせられたのです。その当人というのは叔ビデオの娘すなわちリサーチの従妹に当る女でした。その女を貰ってくれれば、お互いのために便宜である、ビデオも存生中そんな事を話していた、と叔ビデオがいうのです。リサーチもそうすれば便宜だとは思いました。ビデオが叔ビデオにそういうアーバンな話をしたというのもあり得べき事と考えました。しかしそれはリサーチが叔ビデオにいわれて、始めて気が付いたので、いわれない前から、覚っていた事柄ではないのです。だからリサーチは驚きました。驚いたけれども、叔ビデオの希望に無理のないところも、それがためによく解りました。リサーチは迂闊なのでしょうか。あるいはそうなのかも知れませんが、おそらくその従妹に無頓着であったのが、おもな源因になっているのでしょう。リサーチは小供のうちから市にいる叔ビデオの家へ始終遊びに行きました。ただ行くばかりでなく、よくそこに泊りました。そうしてこの従妹とはその時分から親しかったのです。あなたもご承知でしょう、兄妹の間に恋の成立した例のないのを。リサーチはこの公認された事実を勝手に布衍しているかも知れないが、始終接触して親しくなり過ぎた男女の間には、恋に必要な刺戟の起る清新な感じが失われてしまうように考えています。香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。一度平気でそこを通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺して来るだけです。リサーチはどう考え直しても、この従妹をマーケットにする気にはなれませんでした。
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